エクアドル・チンボラソ、コトパクシ、イリネーサ北峰、他
2003年3月26日(水)〜4月6日(日)
3月26日(水)成田=ヒューストン=キトー
3月27日(木)キトー滞在 「ホテルエンバシー」泊
3月28日(金)キトー=パソチョア登山=キトー 「ホテルエンバシー」泊
3月29日(土)キトー=グアグアピチンチャ登山=キトー 「ホテルエンバシー」泊
3月30日(日)キトー=チンボラソ登山口〜ウィンパー小屋〜少し上〜チンボラソ登山口=リオバンバ 「ホテルモンテカ
ルロ」泊
3月31日(月)リオバンバ=チンボラソ登山口〜ウィンパー小屋泊
4月1日(火)チンボラソ登山5800m付近にて敗退=リオバンバ 「ホテルモンテカルロ」泊
4月2日(水)リオバンバ=「ホセリバス小屋」泊
4月3日(木)コトパクシ登山=キトー 「ホテルエンバシー」泊
4月4日(金)キトー=イリネーサ北峰登山=キトー=空港
4月5日(土)キトー=ヒューストン=成田
4月6日(日)帰国
メンバー 単独
3月26日(水)
◆午前中は1時間だけ低酸素室に入り急いで家に戻り、昼食のスパゲティーを食べコーヒーを飲んで風呂に入り午後1
時に自宅を出発した。体重が69.5k、荷物が28.5k。                                     
1時59分日暮里発の特急に乗り京成成田第二ターミナルに着く。集合はフライト2時間前だが誰と待ち合わせる訳で
もないのでわざと遅れていく。空港での一連の手続き、両替、汗をかいてしまった。冷えたボトルコーヒーを買いたかっ
たがどこにも見当たらなかった。仕方がないので「おーいお茶」を買った。イラクの戦争のおかげで警察、警備が多い。
搭乗する時もパスポートの顔写真をチケットと一緒に見せる。私は最終目的地はどこかと聞かれた。前の女の子は生
年月日を聞かれた。飛行機の入口の手前で長机を出し荷物を見られていた人もいた。預ける荷物のX線でライターが
引っかかったのも初めてで自分で持っていってくださいと言われた。全く気圧で爆発でもするかのようだ。      コン
チネンタル航空で飲み物をいつものようにビールと注文したら5ドルと言われたのですぐにやめました。リモコンが椅子
からはずれ目の前の画面でゲームが出来たり、リモコンの後ろが電話になっていたりこんなのは初めて見る。アイマス
クのサービスがあった。
  一年に一度は海外の山(4000m以上)に行こうと昨年、パプア・ニューギニアのウィルヘルムに登ったが16ヶ月振
りの4000mオーバーに寝不足がたたり登頂してから頭が痛くなり高山病にかかった。今回の南米は最初はメキシコ
のオリサバに行きたかったが結局人が集まらず公募登山も中止。どうせ個人手配で行くのなら自分の都合の良い日程
で少しでも標高の高い山でツアーと値段の変わらない所ということでエクアドルのチンボラッソに決定した。体重を2k位
落とした。体に負荷をかけるトレーニングが12kのベスト、アンクル、リストと。低酸素室に3日間4回、4時間以上はい
り前日に整体で体の調子を整えてきた。低酸素室のデータも順調に高度順応している。
成田→ヒューストン(アメリカ)まで11時間8分のフライト。その前後もありヒューストンのジョージブッシュ空港でも吸える
かどうか分からない禁煙はつらい。ヒューストンで吸わなければ乗り換え時間が4時間、ヒューストン→キトー間が7〜8
時間、合計で24時間吸わないことになる。ヒューストンでは絶対に吸うぞ。帰りは行きの全く逆なので帰りのこともある
のでヒューストンで空港内は禁煙なので外に出る方法を見つけなくては。                           
今回の登山は準備万端、経験したことのない6000m峰へ、そのために2月にハワイのマウナケア・マウナロアに高度
順応登山をしたのだから。時間と大金がかかっている絶対に失敗は許せない。失敗したら二度と行けないのだから。
キトーに向かう機内で隣の人が「マルガリータ」を頼んでいた。US4$だ。アルコール類は有料なのだ。
ヒューストンのジョージ・ブッシュ空港で乗り換え時間が3時間くらいあったがトランジットなのにジョージ・ブッシュ空港の
外に出され一回出たら中に入れない。行き先を分ける係員のミスだ。同じ所を行ったり来たりし重い荷物を持って動き
回ったからか長い飛行機でか腰が痛い。結局Dターミナルから成田空港にあるようなシャトルの地下鉄に乗ってCター
ミナルに行き荷物も預けて手荷物検査も厳重で靴まで脱いだ。この地下鉄が乗り場に行ったら13時から16時は動い
ていないはずなのが動いていた。
ジョージ・ブッシュ空港で間違えて外に出されたのでついでにタバコを1本吸った。空港の玄関のドア付近も全て禁煙に
なっていたので隅の方まで行ってきた。帰りはこの乗り換えに5時間位あるので荷物を預けてから空港の外に出てゆっ
くりタバコを吸いたい。
成田→ヒューストンの食事でもビーフを注文したが硬くておいしくなかったがヒューストン→キトーで注文したビーフは煮
込みだったので軟らかくておいしかった。最近、機内食で牛肉がなかったように思う。狂牛病の影響だろうか?     
久しぶりに飛行機に乗っている時間が長いのでしかも一人だし。この文章も機内で書いている。帰りはもっと長い。ヒュ
ーストン→成田間が行きよりも3時間長く14時間かかるそうだ。それにしてもジョージ・ブッシュ空港で乗り換えが落ち
着くまで1時間半くらいかかってしまった。もう南米には行けないのではと思った。荷物が出てきたのも一番最後だっ
た。                                                                    
南米へ行くのは機中が長い26日の朝起きて昼に出て夕方フライト。ヒューストンで約3時間の乗り換えキトーに着くの
は翌日の昼ぐらいでその日寝るのは夕方くらいだろう。でも日付変更線を越えているからまだ、出発した日と同じ26
日。東京は晴れ。ヒューストンも晴れ。キトーは真夜中なのだ。
機内のトイレでタバコを吸ったら2,200US$の罰金と書いてある。空港の外の扉の所もここで吸ったら25US$の罰
金と書いてある。特に飛行機のトイレではもうタバコは吸えない。何十時間乗ろうが我慢するしかない。25万円の罰金
は高すぎる。何が何でもチンボラソに登頂して帰らねば全てがパーになってしまう。次が見えてこない。チンボラソを成
功させれば6000m以上は平気だ。あまり高度に神経質になるのはやめよう。                        
21:30過ぎにキトーの空港に着く。雨が降っている。キトーの空港で私のエクアドルでの登山を含めた全てをバックア
ップしてくれるO.C.Sの松本さんと会う。早速、松本さんの自家用車で「ホテルエンバシー」へ向かう。松本さんはキト
ーで日本人会の会長もやっていた方だ。ガードマンがポーターを兼ねて荷物を運んでくれた。1ドルのチップを渡す。松
本さんと30分程度時間や日程について打ち合わせをする。ホテルや登山ガイドも松本さんが頼んでくれた。シャワーを
浴びて夜中の1時頃寝るが全くねむれない。朝になってしまった。
3月27日(木)くもりのち雨
◆眠れなくて眠いがシャワーを浴びて7時に朝食に行く。コンチネンタルで目玉焼(ハム付き)を注文する。黄味が生で
2つとも崩れて流れる。パンのお変わりを持ってきてくれて食パン4枚。クロワッサン2個食べた。朝、腹が減って眠れ
ず夜中にチョコレートを食べてしまった。最初に変なすっぱいジュースを持ってきたのが何かと尋ねると「ナランヒーア」
というフルーツジュースで「地球の歩き方」に載っていないと言ったら生果物を持って来て切ってくれた。それを食べたが
やっぱり酸っぱい。今日は街をぶらぶらして疲れをとって寝て、明日からの行動に備えよう。朝食の時、テルモスを持っ
て行ったらお湯を入れてくれた。これで自分で持ってきたインスタントコーヒーが部屋で飲める。ヨーロッパのホテルは
アメリカンブレックファーストでコーヒー紅茶も自分で入れるので何杯でも飲める。パンやチーズ、ゆで卵も食べ放題。
「ホテルエンバシー」の朝食も食後サインをしたら1ドルちょっとだった。松本さんの話だと安い定食が1ドルちょっとだが
毎日は外食出来ないという。賃金が相当低いのだろう。
「ホテルエンバシー」 「ホテルエンバシー」の部屋
     
◆一人での海外旅行、積極的に話しかけ聞いてみる。スペイン語は本を見て昨日松本さんに教えてもらったスーパー
に行ってみる。1.5k〜2kはあるのではないか。非常に遠い。もう歩けないのでコーヒーなどある程度の土産、ビール
を買い揃える。荷物も重くなったのでバスに乗ってホテルへ帰る。バス代は25セントなので安い。コーヒー、ビール、そ
の他非常に安い。ロシアの地方並の安さだ。ワインは2ドルで売っていた。スーパーは10:00オープンでその前から待
っていた。細身で凄くきれいな女の子がミニスカートの上に黒いコートを羽織っていたが係員に裏に連れられて行ってし
まった。オープンして中に入ってみるとその娘はワインフェアのコンパニオンだった。一旦ホテルに荷物を置き逆方向
の公園の方に行く。昼食はマクドナルドだ。私は世界中のマクドナルドなどのランチマットも収集しているからだ。
ファーストフード 公衆電話
エル・エヒド公園 アウトドアショップ
 
考古学博物館の入場券 バス乗り場
  
◆キトーのホテルのフロントにリオバンバ〜チンボラッソ登山に必要ないものは置いて預かってくれると言うのでなるべ
く置いてこうと思う。リオバンバに持っていったものは全て山小屋まで持っていかなければならないからだ。植村さんの
本も置いていく。多分、この日記をつけるのが精一杯だと思うからだ。今日は考古学博物館やアマゾンストリートからホ
テル周辺をぐるぐる回った。何泊もするホテルだからホテルの位置、食料品店、レストランなどだいたい把握した。食べ
物屋さんはより取り見取りだが17:00過ぎに行ったら閉まっている。ディナーは18:00からなのだろう。その辺を一周
して「インディアンフード マハラジャレストラン」がOKと言われたので店に入る。昼間気に留めていた一軒だ。ビーフカ
レーと野菜、ナン(2枚)とビール(大瓶)を飲んで6.8ドルで10ドル札を出したらきちんとコインでお釣をくれた。チップ
をあげなければいけないのだが良く分からない。言葉がしゃべれれば渡せるのだが、しかしお釣は札ではなくコインば
かりだ。USドルのはずなのだが同じ大きさでエクアドルドルを使ったようだ。すでに25セント、5セント、1セントと混ざっ
ている。50セントはエクアドル独自の物でフィルムケースに入らない。きっとよく使うコインだろう。US1ドルコインが出
来たようで釣で入ってくる。ミネラルウォーターはSINGAS、CONGASがある。SINGASがガス(炭酸)が入っていない
ほうだ。今日買った「BONAQUA]はコカコーラ社から発売されているミネラルウォーターだ。
CON=〜をつけるという意味
CONGAS=ガスをつける(炭酸)
3月28日(金)曇り時々雨 山は雨
◆やはり眠れない。ビール大瓶一本、缶ビール一本飲んだので21:00過ぎに消灯にする。夜中に何回も起きたが5
時位まで8時間は体を休ませることが出来た。横になっているだけでも疲れは取れるはず。今日の朝食はトーストを2
枚お変わりくれた。テルモスにお湯があると日本から持ってきたインスタントコーヒーやドライフーズのスープが飲めて
荷物を減らせるからコップを持ってきて正解だった。山用のコップでテルモス1本(480ml)でコーヒーが2杯飲める。8
時にロビーで松本さんと会う。スーパーマキシーは間違えていた。遠いほうに行ってしまったようだ。キトーにスーパーマ
キシーは8軒あるそうだ。時間があったら教えてもらった近くの店を探してみよう。ホテルから10分くらいだそうだ。今日
の朝のジュースは「モーラ」という果物のジュースを飲んだ。この2種類しかないようだ。モーラは色は真っ赤で凄いがナ
ランヒーアより酸っぱくないので飲める。今度からウェイターにジュースを注文する時は「モーラ」にしよう。両方とも10
0%ジュースだ。
高度順応登山でパソチョア(4200m)を登る
◆私のガイドが山から帰ってこれなくなり京だけ別のガイドがあたりパソチョア(4200m)に行った。途中までドライバ
ーも歩いて付いてきた。天気が悪く頂上に少しでも長くいて順化したいが何もかも濡れてランチどころではない、ガイド
は頂上で雨に打たれながら昼食のランチボックスを食べている。ガイドに下るように指示をだす。みぞれも降ってきた。
腰が痛い。足も重い。ベストコンディションで来たはずなのにこの先が心配だ。頂上には看板も三角点も何もない。登
山道も指示表もない。ガイドなしでは来れない。今日のガイド、ドライバー二人ともスペイン語しか話せない。スペイン語
の単語くらい覚えてこなければとても不便だ。ランチは主食がジャガイモ、にんじん、グリーンピース、白いとうもろこし、
豆などにサウザンドレッシングをかけた物とみかん、バナナ2本、あめ2個、チョコ、クラッカー、ミネラルウォーターが入
っていた。このようなランチボックスはキリマンジャロ以来だ。雨で食べれなかったので14:30にホテルに帰ってきてズ
ボン、手袋を洗いその後で食べた。
パソチョア(4200m) パソチョア(4200m)山頂にて

◆キトーの新市街地にチンボラッソなどにツアーを出す旅行会社は沢山あるが人数が集まらなくて良く中止になるそう
だ。又、高度順化しなくて行くのだから登れるはずがない。ヨーロッパのバックパッカーが相手だそうだ。夕方は近くのフ
ァーストフードでコンプッサを頼んだ。他のお客が入っていて食べる場所がないのでテイクアウトにしてもらった。1.05
ドルでポテト、ソーセージ1本、肉1切れ、目玉焼きが付いている。注文が入ってから作るので温かい。これにハンバー
ガーを付けても2ドルくらいだ。この前にバーガーキングでコーラ、ポテト、チーズバーガーを食べたので次回はハンバ
ーガーを付けて店の中で食べたい。山のバッジも山で売ってるかどうか分からないし山小屋で買うと高そうだしデザイン
が違うのなら又、買えばよいと思って昨日見つけた店まで行き山のバッジを買う。結局、山のバッジはこの店しかなか
った。この店の店員でジーパンでへそを出している若くて黒い女の子が英語をしゃべれる。ランチボックスと一緒にもら
ったミネラルウォーターが見たことなかったのでスーパーで見たら高いやつだった。近くのスーパーマキシーも分かっ
た。18:40分に松本さんより電話が入る。地元の日本人の方がサポートしてくれるので何よりも心強い。言葉でコミニ
ュケーションが取れないのはつらい。明日も朝8:00にホテルのロビーに松本さんが来てくれるそうだ。多分ガイドの紹
介だろう。結局、松本さんは「田中さんの為に毎朝ホテルに来ます」と言って本当に毎日来てくれた。今日はコインを使
った。ニセモノが出回っているのか担当の人が一枚一枚確認している。厚みやデザインなど。それなりの店やホテルな
どはガードマンがいる。「ホテルエンバシー」も防弾チョッキを着たお兄さんのガードマンが門にいる。銀行などはライフ
ルを持った人も数名いる。よっぽど治安が悪いのだろう。ここまでいるのはニューヨーク以来だ。ホテルのガードマンも
朝早くから夜遅くまで長時間労働だ。雨が降っても雨具を着て近くのミニフードショップでパンを買ってかじっていた。長
時間労働だから腹も減るだろう。
 高度順応登山でグアグアピチンチャ(4794m)を登る
3月29日(土)晴れのち曇りのち雨
◆今日はレストランのボーイとガードマンが変わっている。昨日までの人は休みなのだろう。今朝はパパイヤジュースを
くれるが薄くてまずい。食パンを二切れくれた。ランチバックスは昨日と違いフルーツが沢山入っていた。お菓子も違
う。このランチバックスとお菓子はどうやらガイドがその辺の店で買ってそろえているらしい。グアグアピチンチャに420
0mの地点より登りはじめバリエーション岩稜ルートを登りグアグアピチンチャ(4794m)の頂上に立つ。ツインピーク
で奥のピークを往復するが奥の方が少し高いそうだ。その後ノーマルルートで下りビルヘント・デ・シントという十字架の
あるピーク(4400〜4500m)により小屋により昼食にし、その後3900〜4000m地点まで歩いて下る。今日は土曜
日なので店がやっていない。山の帰りにお祭りをしていたので立ち寄り見学していく。
 
馬に乗っている子供 お祭りのバンド
  
グアグアピチンチャ(4794m)の頂上
 
ビルヘント・デ・シントという十字架のあるピーク(4400〜4500m)

パネシージョの丘

3月30日(日)曇り時々雨
◆市場で買出しを兼ねて見学をしてアンバトで昼食にする。クィーと兎の肉とポテトとコーラを飲む。  
市場 食用のモルモットを持っている クィー
アンバトの街で昼食  丸焼き 昼食
 
カレル小屋からウィンパー小屋へ高度順応をしてさらに100m程上がる。カレル小屋まで降りてリオバンバの「ホテル
モンテカルロ」に行きガイドとドライバーと約束した夕食の時間まで一時間位あったので一人でリオバンバの町を探索
する。毎日電車が走っているわけではないので鉄道駅はやっていない。ガイドと夕食は中華の店に行く。スペイン語と
日本語と英語で楽しい毎日だ。食後ホテルに帰り、キリスト教のパレードに何千人と見物客がいた。せっかなので私も
終わるまで見て帰った。
リオバンバの中華料理屋

◆リオバンバの中華料理屋でコーヒーを注文したらカップにお湯だけ入っていて「ネスカフェ」のインスタントコーヒーの
瓶が出てきた。
マルドナード公園 「ホテルモンテカルロ」

3月31日(月)曇り時々晴れ
◆今日はリオバンバからウィンパー小屋に行くだけだ。本当は少し高度を上げたほうがいいのだがガイドは行かないと
言う。カレル小屋からウィンパー小屋まで標高200mだがフル装備を背負っての登りはきつかった。相変わらず天気
が悪い。2週間も誰もチンボラッソに登っていない。今日の小屋は我々二人だけのようだ。ドライバーと管理人は下の
小屋に泊まるそうだ。
ウィンパー小屋 ウィンパー小屋から見上げる 

チンボラソ5800m地点で敗退
4月1日(火)晴れ時々曇り
◆11:00起床、12:00出発。全く眠れなかった。結局11:00前に起きて支度をして11:40に出発する。星空が凄
い。エクアドルに来てから一番天気が良い。雪面も思ったより急だ。何度となく寝不足で雪の中に倒れる。2週間だれも
登っていない山は登れなかった。5800mより上で下に氷が付いていて危ない。あと私が寝ていないからと言うのがガ
イドの理由だ。5000mの小屋で寝ることなんか出来ない。こんなことなら昼間から横になっていれば良かったと思う。
ウィンパー小屋に戻ったら朝の6時。もう一度寝て明日登るかとガイドに聞かれたがホテルに戻って寝たいと言った。
チンボラッソ
 
 ◆朝、9時リオバンバのホテルに戻り14:00にカフェレストランでガイド、ドライバーと3人で昼食にする。コース料理
だ。チンボラッソに失敗したのであしたからの予定を変更することに決める。明日はコトパクシの小屋に入山。明後日
登頂してキトーに戻るという日程にしたいとガイドに伝える。夕食は又も同じ中華レストラン。ビールをコップ一杯ずつ飲
む。ランチの時は私が大瓶1本飲んだ。今日のディナーは19:00.その前にまたフェスティバルがあった。前回より部
屋は広い(シングル→ダブル)がシャワーの湯が出ない。流しのお湯は出るのに。夜、21:30〜22:00まで街全体が
停電になる。ヘッドランプを持ってホテルのフロントに行くがホテルは入口の鍵を閉めて外には出るなという。
4月2日(水)くもり
◆コトパクシのガイド料が300ドルと言われたので、どうせ今日はコトパクシの山小屋に行くだけなので時間つぶしに銀
行で金を降ろしておきたい。リオバンバのインターナショナルバンコオブピチンチャにガイドと行ったがダメでアンバトに
銀行が沢山あるので今度はドライバーのオールランドンが一緒に行ってくれる。40分ぐらいかかったが500ドル卸せ
た。サルセイドはアイスクリームが美味しい街で有名。アイスキャンデー屋さんが沢山あり立ち寄って食べる。
 
アイスクリーム屋の前にて アイスクリーム
サルセドはアイスクリームの街 アイスの補充

◆コトパクシ国立公園の入場料を10ドル払う。これを払うのは外国人だけみたいだ。4500mが車止めで「ホセリバス
小屋」が4800m、頂上が5897m。ドライバーはシュラフを持ってきていないからキトーの家に帰る。明朝7時に来る
そうだ。この小屋は綺麗だし、電話まである。ガイドのマルシカルは中華麺の事をスパゲティーだと言ってる。麺はイン
スタントでスープは本物を中華料理屋でビニール袋につめて途中で買ってきた。この国はインスタントラーメンやカップ
ラーメンといったものはない。麺だけインスタントだが粉末スープがないという。 
「ホセリバス小屋」 小屋のキッチン ベッド
    
「ホセリバス小屋」の中にあった公衆電話(無線) 

世界一標高の高い活火山コトパクシ(5897m)登頂
4月3日(木)晴れ
◆24:00起床、1:00スタート小屋の消灯は20:00だが18:00前からシュラフに入りチンボラソの二の舞は踏まない
ぞと思った。やはり高度の影響で寝れないが12:00には起きれなかった。ガイドのマルシカルが起こしに来た。時計を
見たら12:07だった。昨晩はコーヒーを飲ましてくれなかった。朝は何も口に入らない。一杯の紅茶を飲んでテルモス
に紅茶を詰め、荷物をまとめてロッカーに入れて鍵をしてくれた。ロッカーの鍵はマルシカルに預ける。
中間より上の氷のツララの場所でドイツ人パーティーが休憩をしている。丁度良い場所なので私たちも休憩するが何も
する気が起きない。マルシカルが私のザックからチョコを出して食べさせてくれる。テルモスも飲ましてくれる。写真も撮
ってくれる。ここでドイツ人パーティーを追い抜いた。私が下りで、まだドイツ人パーティーは登っていた。
 
強風のコトパクシ ヤナサチャウォール
                                                                     
◆この後山頂まで一時間ちょっと。日の出に照らされてだんだん山の影が見えてくる。前日からの強風が少しずつ弱ま
ってきているような気がする。この風では天気が良くても稜線に上がれないと思っていたがチンボラソ同様マルシカル
は登る。登らなければ始まらないのだろう。敗退はやってみなければわからない。休憩後、明るくなり始め、目途が付
いた。だんだん調子が上がって来た。私が先頭で一気にスピードを上げる。なんとなく頂上も見えてきた。ガイドがOK,
OKを連発する。とうとうコトパクシをとった。
コトパクシ(5897m)山頂

 
山頂にて

山頂からの景色、チンボラソも見える

◆マルシカルは山頂で松本さんなどに電話している。それから記念撮影。チンボラソも見える。今日は最高の天気だ。
登りで一緒に休憩していたドイツ人パーティーに下りで会う。4800mの「ホセリバス小屋」に着くとドライバーのオール
ランドンが出向かいに来てくれていた。荷物をまとめお茶を一杯飲んで下山しようとした時松本さんから電話が入った。
さっそく明日も飛行機の時間まで登山が出来るようにガイドに話をつけてもらう。コトパクシ国立公園のレストランでビー
ルを飲みキトーの「ホテルエンバシー」に14:00ごろつく。長い旅からキトーに帰ってきた。少し休んで片付けをしてい
ると松本さんから電話が入り「今ホテルに来ています。食事まだでしょう。一緒にしませんか」と誘われ「ホテルエンバシ
ー」に着替えなど預けたままだったので山の汚い格好で肉料理の専門店に連れて行ってもらう。「これは全部私が払い
ますから好きな物を食べてください。ビールもどうぞ」と全部おごってくれた。明日の登山の打ち合わせもして食事の後
に赤道記念碑に連れて行ってくれてた。私が職場の土産は何がいいかと聞いたらバナナチップスがいいといわれスー
パーマキシーに案内してくれたのでバナナチップスとチョコレートを買う。今日のディナーはランチが15:00頃だったの
でパン屋さんに明日の朝食の分と買い21:00に寝る。明日は日帰りで5000m以上の山に登るのだから。
赤道記念碑にて
北半球と南半球をまたいでいる。
イリネーサ北峰(5126m)登頂
4月4日(金)晴れのち曇り
◆5:30起床。シャワーを浴びて準備をしていると電話がなりオールランドンが5:47に来る。オールランドンもキトーの
自宅に戻って服が違っている。オールランドンは今日は歩かないから靴も革靴だ。次はマルシカルの家に行く。マルシ
カルは23:00に寝て5:00に起きたらしい。昨日の打ち合わせでカヤンベという山が候補に上がったが日帰りで登頂
するのは無理なのでせっかく高度順化してるし日帰りで一番高い山ということでイリネーサ北峰になった。天気も良くな
ってきている、私の体調も調子よくなってきている。
イリネーサの登山口 イリネーサの避難小屋
 
イリネーサ北峰と南峰の間のコルの避難小屋にイリネーサ南峰に登った若い男性2人パーティーがいた。イリネーサ
南峰は一泊二日行程の山で彼らは帰りに長い林道を歩いていたので大通りに出るまで車に乗せてあげた。
◆イリネーサ北峰(5126m)頂上のクロス(十字架)で写真を撮る。8:00スタート、15:00下山、17:00ホテルに戻
る。オールランドンが行きも帰りも車を飛ばしてくれた。
イリネーサ北峰 稜線
イリネーサ北峰(5126m)頂上のクロス(十字架) 山頂のすぐ下の風の当たらない場所で休憩した
 
シャワーを浴びる前にホテルの側の店でコンプレッタとハンバーガーを食べる。朝、昼とろくに食べていないので食べれ
る。 
行きつけのバーガーショップ エクアドルで飲んだビール
 
◆20:00に松本さんが向かえに来ると言うので19:30過ぎにロビーに荷物を降ろしたらもう来ているではないか。ホ
テルの精算のため早く来たみたいだ。松本さんは今日は7時に仕事が入っていたが5時に起きてしまったので5:50に
ホテルに来てくれたそうだ。私はぎりぎり出発したみたいだ。20:00まで松本さんと話をし空港に着くまで話をした。次
回来る時はまたお願いねと。
私は成田空港で一人でヒューストン行きの飛行機に山道具を持って乗り込んだ。向かう先は南米アンデスの山だ。南
米大陸を北から南にパンアメリカンハイウェイが走りアンデス登山を容易なものにしている。私の条件は安く、早く、楽
しく、その度登る山を変えられる事、困難を乗り越えられるガイドの確保。                           
 現地ではエクアドル在住28年の松本さんにサポートしてもらい精神的に大きな支えになった。車(チャーター料、ガソ
リン代、高速代)、ガイド、ドライバーの人件費、ホテル代、食事代、山小屋代、その他全部私が負担しなければならな
くて一日300ドル以上。数十万円かかったが私のサポートをしてもらうには仕方なかった。                 
 車中、食事の時、山小屋で待機している時など私が彼らに英語と日本語を教え、彼らが私にスペイン語を教えるとい
う事をやった。車中ではエクアドリアンミュージックを聴きながらガイドとドライバーが歌を歌っている。3人でエクアドル
を北から南へ車で山間部を走り登山活動を行った。
その場で祭りを見たり赤道記念碑、パネシージョの丘、市場なども登山の合間に観光したりした。登山の部分では3日
間費やしたチンボラソが5800m付近で敗退という痛い目にあったがチンボラソは私が登る2週間前から大雪で誰も登
っていなかった。大きな小屋に私とガイドで二人で泊まる。雪崩、ラッセル、氷と何でもありの中、旗ざおを持って23:4
0に5000mのアタック小屋を出発した。結果は敗退に終わった。エクアドル在中9日間の内8日間登山をして世界一
標高の高い活火山コトパクシ(5897m)、イリネーサ北峰(5126m)、グアグアピチンチャ(4794m)、パソチョア(42
00m)、以上登頂。チンボラソ5800m付近で敗退という結果になったが最高のメンバーに又来るからそのときは頼む
よと伝えた。何よりもスペイン語圏の楽しさに触れた旅でもあった。
多分単独登山になるであろう次回のエクアドルアンデスの登山は大きな山を2つ登るかサンガイ1本に絞るか?迷う所
である。カヤンベを先に登ってチンボラソに登るか、馬に乗ってアプローチをするアマゾンの源流で火を吹く山「サンガ
イ」(5230m)を日本人初登頂を狙うかだ。
エクアドルのスークレ空港に松本さんに送ってもらい、一人でチェックインする。スペイン語か英語かと聞かれるが分か
らない。航空会社チェックインカウンターに並ぶと目の前に凄くかわいい日本人の女の子がいる。結局、エクアドル→ヒ
ューストン間の日本人は私と二人しかいなかった。向こうから日本人ですか?と声をかけてきた。
4月5日(土)ヒューストンは曇り
ヒューストンの乗換えで5時間以上3回外に出てタバコを10本吸った。
4月6日(日)成田→東京 晴れ
今回の楽しかった旅は終わる。
グラシアス、アディオス
back